「てつがくカフェ」は、フラットで安心できる関係のもとで進める「てつがく」的な対話のことです。
南相馬では、「震災と原発事故の後に、人と人とが対等に話しあえる場をつくりたい」という思いから、2012年からはじまりました。さまざまな場所で「復旧」「復興」「除染」といった言葉がさけばれ、さまざまなことがめまぐるしい早さで変化し続けています。そんな状況のなかで、さまざまな「思い」や「疑問」を胸にしまったままの方々も多いと思うのです。ちょっとだけ立ち止まって、その「思い」や「疑問」について考えることも大切ではないでしょうか。「てつがくカフェ」では、お互いの話にじっくりと耳を傾けられる場づくりを通して、このまちで〈ともに〉生きるための言葉をさぐっていきたいと思っています。
「哲学」ときくと、アリストテレス、デカルト、カント、といった哲学者の名前や、「なんだか難しそう…」といったイメージが浮かぶかもしれません。しかし、わたしたちがここでおこなう「てつがく」は、まったく難しいものではありませんし、専門的な知識も必要ありません。
「てつがく」は、わたしたちが普段当たり前だと思っていることや、日常のもやもやについて、「本当にそうなんだろうか?」「それってそもそもどういうことなんだろうか?」と問い直してみることからはじまります。例えば、「愛とは、そもそもなんだろうか?」と問うてみると、とたんに答えるのが難しくなってしまいます。わたしたちは、なんとなく「愛」の意味やイメージを共有していますが、「愛とは〇〇である」と答えるのはとても難しありませんか? 「てつがく」は、このような問い直しを、「対話」といういとなみのなかでおこないます。
対話は、英語ではダイアローグ(dialogue)といい、おしゃべり(conversation)や、討論(debate)とは区別されます。おしゃべりは、普段の気軽なお話のことです。討論とは、二つの立場にわかれてお互いに意見をぶつけあい、勝ち負けを決めるゲームのことです。
対話とは、〈話す−聴く〉といういとなみを、丁寧に積み重ねていくことです。そして、「合意よりも、問題の所在を探ること、問いが書き換えられていくプロセスそのものをシェアすること」(鷲田清一監修 カフェフィロ編『哲学カフェのつくりかた』大阪大学出版会)です。